ここまでのあらすじ
この物語はフィクションです。登場する人物や社名などはすべて架空の名称です。
アーセン社新製品事業部は大きな変革の中にあった。ここまで派閥を作り組織を立ち上げた宇月が相談役となり実質引退となった今事業部のすべての権力は梨田の手に渡った。新製品「キボウ」は順調に売り上げを伸ばし事業部は20名の営業部員を増員する事になった。梨田は自身の子飼いの営業部員をバルゼ社から呼び寄せる。「顧客のために」と梨田はしつこいくらいに繰り返した。営業部員たちは新たなリーダーを歓迎する一方で大和は自身が部長になるのには難しい状況にある事を理解した。
顧客のために

梨田は一旦営業部員120名の採用が終わるとさらに全国行脚を続けた。各支店の会議に出ては「顧客のために情熱をもって働こう。」と繰り返すのであった。
大和は正直言ってこの言葉が好きになれなかった。
”顧客のために働くのは企業のPurposeとしては当然の事。それを今更声高に言う必要があるのだろうか。むしろ顧客のためだけに働いている人なんているのだろうか。誰もが良い生活に憧れるし自分のやりたい事を達成するために昇格したいと考える人も少なくはないだろう。誰にも生活や家庭があって顧客のためという思いはあっても自分のために働いているのもこれまた事実。そしてこの誰もが自分のためを思って努力する事でよい意味での競争が生まれ業務の効率化や質の向上が生まれるはずだ。そしてそれが最終的に顧客のためになるはずだ。”
そしてこう思った。
”むしろ顧客のためにと繰り返すのはわざとらしいし胡散臭い。なぜそれをそうも繰り返すのだろうか。もし事業部のマインドを統一するためにビジョンとしてそれを言っているのであればあまりにもハイレベルでお粗末だ。どこの会社も顧客のためと言う。じゃあ、我々アーセン社新製品事業部のビジョンってなんだ。”
大和は自身が働く意義や意味合いを定義していた。その定義と比べると単に顧客のためにと繰り返す梨田に対してしらけていく自分自身を感じていた。
逆にすると恐ろしい言葉だ

それは梨田が狙って行った行動なのか、それとも本当に梨田はそれを信じて行動していたのか未だに大和にはわからない。きっと意図もしていたし彼は本当にそれを信じていたのだろう。
梨田は全国の支店を周り会議の後に懇親会を開催するのだった。その場には営業部員が呼ばれ、営業課長や営業部長が呼ばれる事はなかった。「営業部員の声を直接聞きたい。」という梨田の要請に営業課長や部長は嫌々ながら従わざるを得なかった。自分のいないとこで部下である営業部員たちが何を言うのか彼らは心配であったに違いない。
「お前ら顧客のために働いているか。正しい事をやっているか。」
梨田は営業部員に尋ねた。そしてこう付け加えた。
「顧客のために働いていない奴はいないか。正しい事をやっていない奴はいないか。」
逆にするととても恐ろしい言葉だった。
このように営業部員に聞けばほとんどのメンバーはこう答えるに違いなかった。
「私の上司である課長は顧客のためでなく数字達成のためだけに働いています。部長だって自分のためです。」
営業部員はノルマ達成のプレッシャーを背負って日々仕事をしており(大和も自身の営業経験から理解出来る)課長や部長はある意味営業部員にノルマ達成のためのプレッシャーをかける事を仕事としている。営業成績の良い営業部員はそうでもないのだが、成績の悪い営業部員ほど課長や部長からのプレッシャーを受け、彼らに敵対心を抱くことも少なくはないのである。
「顧客のために働いていない奴はいないか。正しい事をやっていない奴はいないか。」
懇親会では梨田はこの言葉を繰り返した。
そして証拠を集めていった。
現在の営業課長や部長は宇月が事業部長時代にガラム社から連れてきた派閥メンバーで構成されていた。宇月は実質引退してしまったものの派閥は依然として力をもっていた。梨田のターゲットになったのは彼らであった。
梨田は集めた証拠を元に宇月派閥の部長や課長と面談を開始し、営業部員から集めた証拠を武器に改善を詰め寄った。中には部長や課長の至らないところもあったに違いないがそのほとんどは営業部員の懇親会での不満を元にしたものであった。
当然宇月派閥はこの梨田の行動に強く反発した。
そして宇月派と梨田が連れて来た20名に加え新たに梨田を崇拝する営業部員たちの派閥が完成しその対立が表面化していった。
勝ち馬はどう考えても梨田であった。
宇月派閥は多数派ではあったものの宇月という強い個性とパワーをもったリーダーを失い以前ほどの力を発揮できずにいた。宇月派の将来が明るくないであろうことは誰の目にも明らかであった。そしてそのためさらに梨田派閥はどんどんと強大になっていくのである。
「顧客のためにただしい事をします。」
誰もがそう言い、プレゼンのスライドに堂々と”顧客のために正しい事を”と書くものさえ現れた。
大和は憂鬱であった。
”また始まってしまった。本当に下らない。なんでこういう事が繰り返されるんだ。”
大和は梨田と距離を取る事を決めた。
さすがに梨田のやり方はフェアではなかったし賛同できなかった。
しかしそれを勘づかれてはいけない。
距離をとるしかないと思ったのである。
(つづく)



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