「遠く離れた空の下」第1章 – 第8話【プロジェクト・フジ】

名刺 ビジネス全般(海外での働き方含む)

ここまでのあらすじ

業界大手企業から新たなチャンスを求めてベンチャー企業モゾパス社へ転職した大和。多忙ながらも充実した日々を過ごし本国から表彰も受け自身とモゾパス社の成長を夢見る。そんな最中突然起こったモゾパス社の主力製品のリコールにより経営状況は一気に悪化し大手企業からTOB(敵対的買収)を受ける。モゾパス社は大変な環境にありながらシンガポールでのアジア太平洋地域の全体会議を開催しアジア各国の社員と共にモゾパス社で働く事に誇りを感じ交流を深めるのであった。帰国してしばらく、モゾパス社が買収された事が正式に発表される。モゾパス社を買った企業は大和がモゾパスに転職する前に働いていたクルフト社であった。

グループ企業

名刺

クラフト社がモゾパス社を買収した事が正式に発表され、そのニュースを聞いた大和は意外と冷静な自分自身に気づく事になった。むしろその奇妙な巡りあわせに感心さえ感じるのであった。

「自分が去った会社が転職した会社を買収するなんてなんとも珍しい事だ。」

これから会社が統合される過程で起こるであろう様々な事に気を病む事はなく自分自身の運命をとても奇妙なものに感じるのであった。

買収のニュースから少ししてモゾパスの新社名が発表された。

”クラフトグループ・モゾパス社”

モゾパスのカンパニーカラーは緑であったが会社のロゴのデザインはそのままにカラーはクラフト社の青に変更された。会社ロゴの右肩にはクラフト社のロゴが記されモゾパスがクラフト社の一部である事を強調していた。

「案外いいデザインだな。」と感じる大和。

「いつまでモゾパスの名前が残るのだろうか。」とも考えた。

大和は大学を出て新卒でクラフト社へ入社したが、実は入社した頃の社名はダームであった。その後ダームは2度他社を買収し最後はクラフトに買収された。クラフト社は最初 ”クラフトダーム”と社名を名乗ったが2年後ににはダーム社の文字は消え現在のクラフト社になったのであった。

いつかは消えるモゾパスの名前に寂しさを感じた。

プロジェクト・フジ

会議室

翌月日本国内においてもクラフト社とモゾパス社の統合プロジェクトが立ち上がった。「プロジェクト・フジ」という名のプロジェクトのスコープは既存のクラフト社内の事業部へ如何にスムーズにモゾパスの新製品事業部を統合させるかを目的としており、組織の骨格や管理職の配置・必要人数など人的な統合、既存の顧客や営業組織の統合を含む販売網の整理、財務的な統合と最適化、新たなカルチャーをどうやって育成するかという新たなビジョンの策定も含まれ大和はその中心メンバーに抜擢された。

慣れ親しんだ青山のオフィスへ向かう大和はやはりその奇妙な自身のキャリアを第三者的に興味深く感じていた。

クラフト社時代に重要な会議で使用した808会議室に入るとクラフト社のメンバーはほぼ知った顔ばかりであった。というのも統合先の事業部はまさに大和が以前勤めていた部署であったからである。

「おかえり。」

クラフト社のメンバーは快く大和を迎えてくれた。喧嘩別れした訳でもなく関係性は悪くはなかったのである。

「帰ってきたな。」

大きく息をつく大和であった。

木島と向井

チーム

プロジェクト・フジはコンサルティング企業も参画し驚くべき速さで進んで行った。大和はモゾパス社にいる事よりもクラフト社のプロジェクトルームにあてがわれた1207会議室で一日を過ごす事が多くなっていった。

クラフト社とモゾパス社を両方知っている大和は両組織にとって貴重な存在であったに違いない。

財務・製造販売権・商標などの手続きは粛々と進み、組織の骨格が確定するのも時間がかからなかった。

事業部長にはクラフトの事業部長がそのまま座り、企画部長にモゾパスの事業部長・大和の上司である告川が就いた。営業のトップにはクラフト社のトップが継続して就く事が発表された。

大和はダラXをはじめ数製品の担当課長を任命された。大和と告川の間には現クラフトの企画課長が入りレイヤーが一つ増えた事で大和は自身の権限が減るであろうことを予測するのであった。

大和には2人の部下がいた。木島と向井である。

向井は海外の大学を出ていて英語が堪能であった事もありポジションを見つけるのに苦労はしなかった。クラフト社の事業部メンバーの英語力を知っている大和には向井がこの組織ですぐに貢献できる事を想像する事が出来た。

「向井はきっと上手くやる。そしてモゾパスではなく大企業クラフトに入社出来た事は向井にとって決して悪い話ではない。」

大和は強く確信するのであった。

木島はプロジェクト・フジがはじまってすぐにモゾパスを去る事を決めた。共に苦労した部下が社を去るのは辛かったが木島自身悩んだ上での選択であったであろうと思い快く送り出す事を決めた。

モゾパスでの日々

メモリー

大和にとって充実したモゾパスでの日々はたった2年ほどで幕を閉じる事になってしまった。

大手企業と違い新たなプロジェクトを始めるにも本国から投資を勝ち取ってくる事から始めないといけないベンチャー企業での日々は多忙ではあったが多くを経験する事が出来た。

毎日のように何らかの問題が発生し告川や木島、向井と共に深夜まで対策に追われた日々はまるでビジネススクールのケーススタディのようにドラマチックであったし多くの事を学ぶ事が出来た。これらの経験は大手企業にいれば決して経験出来なかったであろう。

大和のキャリアを考えた時に30代半ばで同年代では出来ない経験を得る事が出来たのは幸運であったとも言えた。

「クラフトに戻った新しい日々はどうなんだろう。社内システムも人も知っている、製品も知っている、モゾパスのように何でも自分でやる必要はない。大手だけに今回のように買収される心配もないだろう。」

普通に考えれば安心材料しかない。このまま楽に社会人人生を生きていくのも悪くないはずである。

しかし大和はモゾパス社で経験した毎日何らかの問題が発生しその対処にあたるピリピリとした刺激をきっと忘れる事が出来ない自分自身を自覚していたのである。

1207会議室から見える青山通りを行きかう人々を見ながら椅子の背もたれに深く持たれながら天井を眺めた。

(つづく。次回からは第2章。)

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