ここまでのあらすじ
二度目の転職で就職したアーセン社。EUに本社を構える業界中堅外資系企業は世界での評価とは裏腹に日本支社の新製品事業部は社内の権力争いが激しく大和はその様に辟易とする。一方でアーセン社・新製品事業部が間もなく発売する新製品「キボウ」の業界評価は高く、その「キボウ」製品企画担当者となるべく大和は黒馬とともに役員会議に臨む。役員会議で宇月が黒馬に与えた課題は評価を得られやすい「宣伝戦略」であったのに対し大和に課せられた課題は地味で実務的な「経費および人員計画」であった。
実務的だけれど

「やるしかないな。」
大和は夜人気のないオフィスで背もたれに深く腰掛け天井を見ながらつぶやいた。
地味で目立たないプレゼン。だれもが夢のある宣伝戦略に惹きつけられる中どうやって自分の価値を証明するかを考えた。
「華やかさはいらない。いかに現実的な話をできるかだ。実務的だが現実感のある経営に直結するプレゼンをしよう。」
大和は夢を語ることを辞めた。一方で市場における現実的なリスクとそのリスクを最小化するためのプランとその経費。夢を語れる豊富な営業社員の数だけでなく利益率と勝算を現実的に捉えた人材プランを作成することを決めた。
大和はいつでも宣伝戦略をプレゼンできる準備を水面下で進めていた。そのための資料や調査も実施し終わっていた。残念ながらそのプレゼンを披露することは今回はできない。そして現実的で実務的なプランを作成するためには新たに資料を用意し調査を行う必要があった。
「1週間で出来るのだろうか。」
不安がなかったわけではなかったがとにかくやるしかないと覚悟をした。大和は深夜まで作業にあたり休日も出社して作業をした。すべての資料が完成したのはプレゼンの直前であった。
自信のある出来であった。
「実務的だけれど、きっとこれなら俺の価値を証明できる。」
クロースからのメール

役員会当日、重苦しい雰囲気の中プレゼンは進んだ。
宇月は冒頭の挨拶と概略だけを簡単に話をした。それらのスライドは黒馬と大和が作ったスライドを何枚か抜粋しただけのものであり(宇月はいつも自分では一切スライドを作ることがなかった)社長のクロースは何も言わずただ話を聞いているだけであった。
黒馬の宣伝戦略では他部署の取締役から多数の質問が挙がった。黒馬はたどたどしい英語で必死に回答していた。他人のプレゼンやそれに対する質問はプレゼン者以外には案外簡単に答えを見つけることが出来ることがある。それはプレゼン者がプレゼンで必死になっているのに対し周りの人は冷静に質問を聞き回答を頭の中で導くことが出来るからである。
黒馬の回答は的を得ないものも多く感じられた。英語が完全に聞き取れていないのか、英語で説明するのが難しいのか、もしくはそもそも日本語であっても回答に窮しているのか大和にはわからなかったが自分だったらもっと上手に答えることが出来る自信があった。
途中で会話に入って代わりに回答することも出来たかもしれない。
しかし大和はそうはしなかった。
大和のプレゼンの順番がまわってきた。
不思議と全く緊張していない自分自身がいることに少し驚いた。
大和は準備した資料を淡々と説明していった。
「役員たちからは質問が来ない。やはり実務的すぎて退屈な話なのかもしれない。」
その時クロースから質問がきた。
大和が提示したリスクをそれを回避するために必要な経費に関してクロースがかなり細かい数字を質問してきた。
クロースは社長を務めるだけありシャープで数字には強かった。「キボウ」の性能を証明する基本データの数値まで覚えておりその上で大和に質問をしてきたのであった。
大和は準備の過程で基本データを読み込んでいた。英語の資料にすべて目を通すのは大変な作業ではあったが資料を準備する過程で妥協はしたくないと決めていた。
クロースと大和ほどそのデータを記憶・理解し討議できるメンバーは他にはいなかった。
宇月はクロースを大和のディスカッションに入ろうと浅はかな知識で介入しようと試みたがそれが大和には滑稽で陳腐なものに感じられた。そしてクロースも宇月のコメントには返事すらしなかった。
クロースの質問にすべて回答する事は残念ながらできなかった。いくつかの質問は宿題として大和に課せられた。
役員会議が終わりデスクに戻ると既に19時を過ぎており宇月から
「大和、社長の質問の回答を早く用意しろ。用意したらまず俺に説明しろ。俺から社長に説明する。」
とだけ言い残し荷物をまとめすぐにオフィスを出ていった。(役員会議が終わり取り巻きと飲みにいったのかもしれない。)
黒馬も言葉少なにオフィスを退席した。
「とりあえず終わった。もう一回データを読んで回答用意するか。」
大和はデスクに向かった。
その夜クロースから役員会議出席者にメールが届いた。
クロースは滅多に人を褒めたりはしない。
そんなクロースが今回の役員会議でそのプレゼンを唯一褒め、感謝を示したのであった。
それは
大和のプレゼンに対する称賛と御礼のメールであった。
(つづく)



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